2026年5月某日
大学時代にときおりホンダの赤いオフロードバイクで通学したのは事実である。自動二輪車中型免許を大学入学前にとっていた。バイクに乗ってていたのは中高生のころに愛読した漫画の影響で、こうすれば女子にモテるものだと信じていたからであるが、そううまくはいかない。乗り始めて分かったことだが、そもそも私はバイクの運転が好きではなく、上手でもない。いや、むしろ下手の部類に入るだろう。乗用車も然りで、運転は好きではなく、実はへたくそなのだ。 運転が下手なのは、技術的にそうであるだけではなく、おそらくは運転中に集中力を欠くきらいがあるからだろうと思う。
大学時代、千葉県の富浦にあった大学の合宿所までバイクで行ったのが、バイクでの最初で最後の遠出だった。囲碁部の合宿に参加したのだが、囲碁よりはもっぱら麻雀に興じたあと、寝不足で東京方面に向かったところ、途中の木更津近辺で転倒してしまった。見通しの良い舗装道路の交差点近くで、転ぶ要因は何もなかったのだが、何かに気を取られているうちに、横転した。車にぶつかったわけではない。
道路沿いの店の人がたまたまそれを見ていて、すぐに出てきて介抱してくれた。そして、頭を強く打ったようだから救急車を呼んだほうが良いと、親切に119番通報してくれた。バイクはここで保管しておく、何かあったら連絡するようにと、名刺をくれた。
救急車で病院に連れて行かれ、簡単な検査を受けた結果、まあ衝突したわけではなくヘルメットをかぶっていたから大丈夫だろうという医者の判断で解放された。さすがの私も救急車に運び込まれたときにはかなり気が動転していて、頭を強打したためことによるとこのまま帰らぬ人となりかねぬと心配したが、医者から解放された頃になると落ち着いてきて大胆になった。擦りむいた腕は痛いが、他に痛いところはないから、自力でバイクに乗って家まで帰れそうだった。それでバイクを取りに行くことにし、いただいた名刺を初めてよく見たら、「お仏壇の長谷川」と書いてあった。飛び出してきてくれたのは、「お仏壇の長谷川」に勤める人だったのである。バイクがおいてある「お仏壇の長谷川」までどのようにして行ったのか全く記憶にないが、その時いただいた名刺はその後長らく御守りとして私の財布の中に入っていた。
2026年4月某日
日経新聞の「交遊抄」に、大学ゼミの同期のYが「一歩先を行く人」という題で私のことを書いた。ここに寄稿するぐらいだから彼はとても出世した偉い人で、取り上げてもらった「一歩先を行く」私は鼻が高い。「周囲と違う行動をとることが苦手な私にとって、自分の考えを大事にする彼の生き方は羨ましいし、かなわない」とまで持ち上げてもらい、うれしくもあり恥ずかしくもある。私に言わせれば周囲を大切にできて出世したYの生き方のほうが羨ましい。
まあ一歩行くのが先なのか後なのか、はたまた右なのか左なのかよくわからないが、一歩ズレた人生を送ってきたことは間違いない。「大胆で型破りな行動力」と評されたが、気配りが足りず入るべき型に入れなかったというのが妥当なところだろう。
Yはたいへんな読書家であり、教養人である。そして筋金入りの乗り物好きでもある。もちろん鉄ちゃんで、大学3年生の時にすでに当時の国鉄路線を完全乗車していて私は驚いた。モータースポーツも好きらしい。アメリカにいた頃、彼の家に泊まがけで遊びに行ったら、早朝から起きてテレビでF1レースを熱心に見ていたから、これにも驚いた。頻繁にニューヨーク出張に出かけているようだったが、たぶん飛行機に乗るのも好きなのだろう。「イメージにそぐわないオフロードバイクで通学してきた姿は忘れられない」とあるが、私のバイクがそれほど印象に残ったのは彼が乗り物好きだからだろう。ただ、イメージにそぐわないというところはよくかわからない。
2026年3月某日
シンガポールから戻ってきた。3月上旬だというのに、雪は全くなくて、しかも地面が溶けている。雪がないのはまだしも、地面がまったく凍っていないのには驚いた。例年この時期だとまだ地面は堅くてなかなか掘れないはずだ。畑にはまだキクイモがたくさん埋まっている。早く掘り出さないと、暖かくて芽が出てしまう。
今年が暖冬だったのは、気のせいではない。我が家の熱源は灯油だが、この冬これまでの灯油の消費量が目に見えてこれまでより少ない。1月末にはずいぶん寒い日が何日かあったが、結局その寒かったのはほんの「一瞬」だったようだ。
こうなると私は忙しい。キクイモ堀りはもちろんのこと、去年の枯れた植物を引き抜いて掃除し、畑を耕し肥料を入れなければならない。ぼやぼやしていると様々な雑草が芽吹いてしまうから、その対策も必要だ。芝の種や芝用の土も手に入れておこう。さて今年は一体何がどこに出てくるか。
2026年2月某日
前回の滞在中に足しげく通ったバングラディシュ料理の店に行った。店は拡張されて、しかもきれいになっていた。ところが、店番が二人の中国人女性で、この人たちに英語が全く通じなくて弱った。注文はどのみち指差して行うのだが、その食べ物を袋に入れようとする。私のような風貌の人間は、店の中で手で食べられないから当然テイクアウトだと思い込んでいるのだろう。「内用」と言ってみるがこちらの発音が悪くて伝わらない。 かなり苦労して注文し、手を洗って席につき、手を使って上品に食べ始めたら、女性たちは目を丸くして(たぶん)「会手抓(食?)」などといっている(のだろう)。言葉が通じないだけではなく、残念ながら味も落ちてしまった。ずいぶんと塩辛くて味も薄っぺらい。念のためにもう一度行ったが事情は同じだった。
この界隈のバングラディシュ料理の店はコロナ時代にいったん絶滅したように見えたが、古い店が復活したり新しい店ができたりして、今や10軒近くあるから、去年の店に拘泥する必要はない。今回はそのうちの4軒をめぐって見たが、どれも面白い。そのうちの一軒を特に気に入って2回行った。
今年のシンガポール滞在時期は、ラマダン(イスラム教の断食月)と重なった。新月から光がのぞいてから次の新月までの約1ヶ月間、信者は日の出から日没まで飲食を断つ。バングラディシュの人たちはほとんどがイスラム教徒だから、これらの店は昼飯時に営業しないのではないかと危惧していたが、店は開いていて、おそらく昼間はまだ種類が少ないのだろうが、料理もある。店では食べられないから夜家で食べるのであろう、テイクアウトを頼む家族連れがときおりやってくるが、昼間は閑散としているから、異教徒はゆっくりと品定めをして自在に昼食を楽しめるのである。
2026年1月某日
こんな夢を見た。
太陽がてりつけ大地を焼く。まだ暑いのに、目の前に広がる水田には、黄金色の稲穂が頭を垂れていて、収穫の秋の風情だ。刈り取ればずいぶんと食べられそうだが、収穫される気配はない。
農機具を携えた人が、遠くのほうから何人もゆっくりと歩いてくるのが見える。しかし、水田に近づくにつれて次第に影が薄くなっていく。まるで暑さで溶ける氷ののようだ。水田にたどり着くころにはすっかりなくなってしまう。収穫されないで残っているわけだ。 人に頼る農業は確かずいぶん前に廃止になって、今の農業はAI制御の全自動になっている。それを人がやろうとしたって、溶けてしまうのは仕方ない。
まあ趣味で米作りをするのなら、溶けるのも存外楽しいのかもしれないと思いを巡らしていたら、目が覚めた。